先祖返りの町作り(再調整版)
第203話 ディーゼルジドウシャ
それからまた、季節が二巡した頃。
リノアさんは第2子を出産していた。ユキムラにとっては、待望の跡取り息子の誕生だ。私にとっても、記念すべき10代目の直系の子孫の誕生である。
一族の伝統に則り、私がヨシヒロと命名した。
戦国時代の名将繋がりという事で、島津義弘から名前をいただいた。鬼島津と敵から畏怖されるほどの武将だったので、いつかは名付けてみたいと温めていたのだ。
島津義弘は、敵からは恐れられたが、人たらしの才能に溢れていたため、皆を引き付ける人物になって欲しいとの意味もある。
ヨシヒロは金髪に茶色い瞳の、お母さんに良く似た元気な赤ちゃんだ。
ニーナは甥っ子の誕生を喜び、暇を見つけてはヨシヒロをあやしている。
それはいいのだが、
「ほーら、ヨシヒロ。この魔道具はここを触るとこう動くのよー。面白いでしょ?」
と、やっている、相変わらずの魔道具バカっぷりは、どうにかならないものか。
しかし、それでヨシヒロもキャッキャと喜んでいるので、将来が楽しみなような、怖いような。
また、この頃には、ディーゼルエンジンの開発もほぼ終わり、新たな自動車の試作一号機が完成していた。今はそれを使っての実地試験が繰り返されており、細かい問題点の洗い出し等を行っている。
魔力ジドウシャからの繋がりという事で、この車は「ディーゼルジドウシャ」と命名された。
ちなみに、この頃には「ごむたいや」の一般販売も始まっていたが、今までの代用品が使われている。
生産量の関係で、まだまだ「天然ごむ」が非常に高価だったのだ。
ディーゼルジドウシャは、トルク等が弱かった事もあり、大昔の安っぽいオープンカーのようになっていた。少しでも車体重量を軽くするために、屋根等が布製だったのだ。
変速ギアは2段階しかなく、これとバックギアを含めた、3段変速のトランスミッションも開発されていた。
実はエンジン本体よりも、こちらの開発のほうが難航していたのである。
私の知識の中には、クラッチ等の構造に関するものがなかったので、手探りで開発する必要があったのだ。
苦心惨憺の末に、ようやく開発されたディーゼルジドウシャではあるが、現在の所、性能面では魔力ジドウシャに及ばない。
そのため、廉価版としての販売を目指している。
ちなみに、担当キョウジュの一人から、ディーゼルジドウシャの工房を立ち上げたいと、相談を持ち掛けられていた。
新工房の建設には巨額の投資が必要になるため、私に代表になって欲しいと言われたのだ。しかし、これ以上肩書を増やしてしまうと私が困るため、丁寧にお断りしていた。
それでもあきらめきれない彼と協議を続ける事になり、結局、私は会長職のような名誉職に就任する事が決まった。
(これは、投資を専門とする、銀行制度を作らないといけないかもしれませんね)
私はそう感じていた。
しかし、銀行業務には、高度な専門知識や技術が必要なはずだ。
それらを持っていない、ド素人の私がやっても、うまくいくとはとても思えないため、残念ながらあきらめる事にした。
(今後の平民の発展に期待ですね。誰かが思いつくかもしれませんし)
ちなみに、新しいジドウシャ工房の名前を相談された時、某有名国産メーカーの名前がふとよぎったが、なんとなくやめておいた。
この世界では関係ないのだが、気持ち的な問題で、登録商標を勝手に使うのがためらわれたのだ。
そのため、何のひねりもなくヒデオジドウシャと命名した。
これが後のトップメーカーとなり、私の名前を冠した会社が有名になるにつれ、恥ずかしさで悶絶するはめになるのである。
この時の私は、その事にまだ気付いていなかった。