先祖返りの町作り(再調整版)
第97話 帰還の日
それから一週間後。既に帰還の予定日は過ぎていた。
クリスさんや島の里の皆に、引き留められていたためである。
「さすがに連絡もせずにこれ以上帰るのを遅らせると、家族が心配しますので」
私はそう言って、帰還する事を説得した。
この里の魚料理はうまいので、私も後ろ髪を引かれる思いではあるのだが、なんとか帰る事を決意した。
私をエルベ村まで送る小舟の側で、クリスさんは、何かを決意したような顔で語り始めた。
「ヒデオ様。私を妻に娶ってください。ここで、私とずっと二人で過ごしましょう」
(女性からプロポーズさせてしまうのは、これで二度目ですね。私は本当に、いくじなしです。そんな私を、ここまで愛してもらえるのです。ここは、クリスさんの思いに応えるのが良いでしょうね)
そう思っていたはずなのに、私の口から出た言葉は、なぜか結論の先送りだった。
「とてもうれしいです。クリスさん。でも、私にはまだ、王国でやるべき仕事が残っているのです」
私はなぜこんな事をしゃべっているのだろうかと、心の中で首を傾げていると、クリスさんが、私にその内容について質問してくる。
「私と楽しく暮らす事以上にやらなくてはならない事とは、いったい何でしょうか?」
彼女は真っすぐと私の瞳を見つめ、納得いかなければ帰さないと言わんばかりの真剣な顔つきで質問した。
(これは真剣にお答えしなければならないでしょうね)
そう思い、私のやるべき事を語る。
「私の領地や王国を、この里や私の里のように、皆で仲良く暮らしてゆける場所にしたいのです。ですので、まだ楽隠居はできないのです。魅力的な提案である事は確かなのですが」
クリスさんは、真っすぐな瞳で見つめたまま、さらに問いただす。
「それができれば確かに素晴らしいでしょうが、欲深いヒム族の国で、そのような事が可能だと本気で思っていますか?」
私も彼女を真っすぐと見つめ返し、真剣に答える。
「我らアルク族の里と全く同じという訳には、もちろんいかないでしょう。ですが、偉そうに威張り散らしているだけの、貴族や王がいない国にはできるのです」
そして一息ついてから、一気に私の野望を語る。
「平民だけで国家を運営する制度を『共和』制と言い、そのような制度を採用した国を『共和』国と言います。
平民達が、自分自身で治める国家を作りたいのです。
ただ、そのためには国を動かせるだけの知識が必要なので、平民全員に、ある程度の学力が必要になります。
ですから、今は下準備として学校を建設し、平民達にできるだけ広く学問を教えている段階です」
そして、二人でじっと見つめ合っていると、クリスさんはくしゃっと顔をゆがませ、涙を流しながら了承した。
「ヒデオ様には成し遂げたい夢があり、そのための具体的な方法まで考えられているのですね」
私がそのまま黙って見つめていると、彼女は顔を伏せて、涙声で語った。
「私は、惚れた殿方の夢を潰すような女にだけはなりたくはありません」
そう言って泣き崩れるクリスさんが、私にはとても愛おしく見えて、ある約束をする事にする。
「クリスさん。私の夢はすぐには実現できないものです。ですので、私は一つ、あなたに約束をします。
毎年は無理でしょうが、数年に一度はこの里を訪れ、あなたに必ず会いに来ると約束します」
私がそう言うと、やっと涙の止まった彼女が確認を取る。
「本当ですね! 確かに約束しましたからね! もう、反故にはできませんよ!?」
私は笑顔で頷く。
「ええ、もちろん。そうですね。では、これも約束しましょう」
私は彼女の瞳を再び見つめ、新たな約束を追加する。
「この里の魚介類のスープはとても美味しいのですが、私の領地の特産品である、ミソという調味料があればさらに美味しくなります。
ですので、ミソとその材料である大豆を、今度来る時には持ってきます。魚のアラで出汁を取った、ミソシルというスープを一緒に食べましょう」
ここまで語った私は、視界の端に海を捉え、ある事も思い出す。
「この里には、海水から作る塩もあります。その過程で『にがり』という水が得られるので、トウフという、ミソシルにとても良く合う具材も作れますね」
私がそう言うと、笑顔になった彼女は、さらに確認を取る。
「では、次回のご来訪の際には、今回よりも長く滞在していただけるのでしょうか?」
私も笑顔で頷き、肯定する。
「ええ。大豆の栽培方法や、ミソの作り方、トウフの作り方等を伝授しますので、それなりに長期滞在になるでしょう」
そうやって、しばらく二人で別れの名残を惜しんでから、私は小舟に乗り込んだ。
出発する直前に、クリスさんの小さな独り言が聞こえてしまった。
「夫の夢を応援し、帰りをひたすら待ち続ける新妻というポジションも、なかなか悪くないですね……」
なんだか、クリスさんがまた夢の世界の住人になりそうなセリフを聞いてしまったが、聞こえなかったふりをして、手を振りながら島を離れた。