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先祖返りの町作り ~無限の寿命と新文明~

第222話 ディーゼルジドウシャ

 それから、また、季節きせつ二巡にじゅんしたころ

 リノアさんは第二子を出産しゅっさんしていた。ユキムラにとっては、待望たいぼう跡取あとと息子むすこ誕生たんじょうになる。

 私にとっても、記念きねんすべき十代目の直系ちょっけい子孫しそん誕生たんじょうである。

 一族いちぞく伝統でんとうのっとり、私がヨシヒロと命名めいめいした。

 ユキムラの息子むすこということで、戦国せんごく時代じだい名将めいしょうつながりで島津しまづ義弘よしひろから名前をいただいた。おに島津しまづと敵から畏怖いふされるほどの武将ぶしょうだったので、いつかは名付けてみたいとあたためていたものでもある。

 島津しまづ義弘よしひろは、敵からはおそれられたのだが、人たらしの才能さいのうあふれていたため、みんなをひきつける人物になってしいとのねがいの意味もある。

 ヨシヒロは金髪きんぱつに茶色いひとみの、お母さんによくた元気な赤ちゃんだ。

 ニーナはおいっ子の誕生たんじょうよろこび、ひまを見つけてはヨシヒロをあやしている。

 それはいいのだが、そのあやし方がちょっと独特どくとくなものになっていた。

「ほーら、ヨシヒロ。この魔道具はここをさわるとこう動くのよー。面白おもしろいでしょ?」

 この、相変あいかわらずの魔道具バカっぷりは、どうにかならないものかと私は少しあたまかかえていた。

 しかし、ヨシヒロもそれでキャッキャとよろこんでいるので、将来しょうらいたのしみなような、ちょっとこわいような。

 また、このころになると、ディーゼルエンジンの開発もほぼ終わっていて、あらたな自動車の試作しさく一号機いちごうきが完成していた。

 今はそれを使っての実地じっち試験しけんり返されており、細かい問題点などのあらい出し作業が続いている。

 魔力ジドウシャからのつながりということで、この車は「ディーゼルジドウシャ」と命名めいめいされていた。

 ちなみに、このころには、「ごむたいや」の一般いっぱん販売はんばいも始まっていたのだが、このディーゼルジドウシャには今までのだい用品ようひんが使われている。

 生産量せいさんりょう関係かんけいで、まだまだ「天然てんねんごむ」が非常ひじょう高価こうかだったためである。

 開発されたディーゼルジドウシャはトルクなどの性能せいのうが低かったこともあり、大昔の安っぽいオープンカーのような形状けいじょうになっていた。

 少しでも車体しゃたい重量じゅうりょうかるくするために、屋根やねなどが布製ぬのせいだったのだ。

 変速へんそくギアは段階だんかいしかなく、これとバックギアをふくめた三段さんだん変速へんそくのトランスミッションも開発されていた。

 実はエンジン本体よりも、こちらの開発の方が難航なんこうしていたのである。

 私の知識ちしきの中には、クラッチなどの構造こうぞうかんするものがなかったので、手探てさぐりで開発する必要ひつようがあったのだ。

 苦心くしん惨憺さんたんすえにようやく開発されたディーゼルジドウシャではあるが、現在のところ、せい能面のうめんでは魔力ジドウシャにはおよばなくなっている。

 そのため、廉価版れんかばんとしての販売はんばい目指めざしている。

 ちなみに、担当たんとうキョウジュの一人から、ディーゼルジドウシャの工房を立ち上げたいと、相談そうだんを持ちけられていた。

 新工房の建設けんせつには巨額きょがく投資とうし必要ひつようになってくるため、私に代表になってしいと言われていたのだ。

 しかし、これ以上、肩書かたがきやしてしまうと私がこまるため、丁寧ていねいにおことわりをしていた。

 それでもあきらめ切れない彼と協議きょうぎを続けることになり、結局けっきょく、私は会長かいちょうしょくのような名誉めいよしょく就任しゅうにんすることが決まってしまった。

(これは、投資とうし専門せんもんおこなう、銀行ぎんこう制度せいどを作らないといけないかもしれませんね……)

 私はそのようにかんじていた。

 しかし、銀行ぎんこう業務ぎょうむには、高度こうど専門せんもん知識ちしき技術ぎじゅつ必要ひつようになってくるはずだ。

 それらを持ち合わせていないド素人しろうとの私がやったとしても、うまくいくとはとても思えないため、残念ざんねんながらあきらめることにした。

(今後の平民の発展はってん期待きたいですね。だれかが思いつくかもしれませんし)

 ちなみに、あたらしいジドウシャ工房の名前を相談そうだんされた時、ぼう有名ゆうめい国産こくさんメーカーの名前がふとよぎったのだが、なんとなく、それを口にするのはやめておいた。

 この世界では関係かんけいがないのだが、気持ち的な問題もんだいで、登録とうろく商標しょうひょう勝手かってに使うのが躊躇ためらわれたのだ。

 そのため、何のひねりもなくヒデオジドウシャと命名していた。

 これが後のトップメーカーとなり、私の名前をかんした会社が有名になっていくにつれ、ずかしさで悶絶もんぜつするはめになるのである。

 この時の私は、そのことにまだ気づいていなかった。