先祖返りの町作り ~無限の寿命と新文明~
第105話 帰還の日
それから一週間の後。もう既に帰還の予定日は過ぎてしまっていた。
クリスさんや島の里のみんなに、何度も引き留められていたためである。
「さすがに、連絡もせずにこれ以上帰るのを遅らせてしまいますと、家族が心配しますので」
私はそのように繰り返し、帰還する旨を説明した。
この里の魚料理はとても美味しく、私も後ろ髪を引かれる思いではある。だが、なんとか帰ることを決意した。
私をエルベ村まで送り届けるための小舟の側で、クリスさんは何かを決意したような表情になり、ゆっくりと語り始めた。
「ヒデオ様、私を妻に娶ってください。ここで、私とずっと二人で楽しく暮らしましょう」
そんな彼女の提案に対し、私はどうなのだろうかと、少し考えを巡らせてみる。
(女性からプロポーズさせてしまうのは、これで二度目になりますね。私は本当に意気地なしです。そんな私をここまで愛してもらえるのです。ここは、クリスさんの思いに応えるのがいいでしょうね)
そのように考えていたはずなのに、私の口から出た言葉は、なぜか結論の先送りになっていた。
「とても 嬉 しいです、クリスさん。ですが、私にはまだ、王国でやるべき仕事が残っているのです」
私はなぜこんなことを喋っているのだろうかと、心の中で首を傾げていると、クリスさんが鋭くその内容について質問してくる。
「私と楽しく暮らしていくこと以上にやらなくてはならないこととは、いったい何でしょうか?」
彼女は真っすぐに私の瞳を見つめていて、納得いかなければ返さないと言わんばかりの真剣な顔つきで問いただしてきた。
(これは、真剣にお答えしなければならないでしょうね……)
そのように考え、私も真剣な顔つきになって、やるべきことを語り聞かせる。
「私の領地や王国を、この里や私の里のように、みんなで仲良く暮らしていける場所にしたいのです。ですので、まだ楽隠居はできないのです。魅力的な提案であることは確かなのですが……」
クリスさんは真っすぐな瞳で私をみつめたまま、さらに問いただす。
「それができれば確かに素晴らしいでしょう。ですが、欲深いヒム族の国で、そのようなことが可能だと本気で思っているのですか?」
私も彼女を真っすぐと見つめ返し、真剣に返答する。
「我らアルク族の里と全く同じというわけには、もちろんいかないでしょう。ですが、偉そうに威張り散らしているだけの、貴族や王がいない国にはできるのです」
そして、一息ついてから、今まで誰にも語ったことのなかった私の野望についての説明を始める。
「平民だけで国家を運営する制度を『共和』制と言い、そのような制度を採用した国を『共和』国と言います。平民たちが自分自身で治める国を作ってみたいのです」
クリスさんの様子を窺ってみると、真面目な顔で聞き入ってくれているようだ。私はさらに続けてその手段についても説明を加える。
「ただ、そのためには、平民に国を動かせるだけの知識が必要になってきますので、平民全員に、ある程度の学力が必要になります。ですから、今は下準備として学校を建設していて、平民たちにできるだけ広く学問を教えている段階です」
説明を終えた私とクリスさんは、しばらくじっと見つめあっていた。その後、クリスさんはくしゃっと顔を歪ませ、涙を流しながら了承してくれた。
「ヒデオ様には成し遂げたい夢があり、そのための具体的な方法まで考えておられるのですね……」
私がそのまま黙って見つめていると、彼女は顔を伏せ、涙声でゆっくりと続きを語った。
「私は、惚れた殿方の夢を潰すような自分勝手な女にだけは、なりたくありません……」
そう言って泣き崩れているクリスさんの姿が、私にはとても愛おしく見えて来て、ある約束を結ぶことを決めた。
「クリスさん、私の夢は、すぐには実現できないものです。ですので、私は一つ、あなたに約束をします。毎年は無理でしょうが、数年に一度はこの里を訪れ、あなたに必ず会いに来ると約束します」
私がそう言うと、やっと涙の止まった彼女は勢いよく顔を上げ、確認を取り始めた。
「本当ですね! 確かに約束しましたからね! もう、反古にはできませんよ!?」
元気になったクリスさんを見て私も笑顔になって大きく頷き、肯定する。
「ええ、もちろんです。そうですね、では、これも約束しておきましょう」
私は彼女の瞳を再び見つめなおし、新たな約束を追加する。
「この里の魚貝類のスープはとても美味しいのですが、私の領地の特産品である、ミソという調味料があればさらに美味しくなります。ですので、ミソとその材料であるダイズを、今度来るときには持って来ます。魚のアラで出汁を取ったミソシルというスープを一緒に食べましょう」
ここまで語った私は、視界の端に海を捉え、あることも思い出す。
「この里には海水から作る塩もあります。その過程でニガリという水が得られますので、トウフという、ミソシルにとても良く合う具材も作れますね」
私がそう言うと、笑顔になってくれた彼女は、さらに確認を取る。
「では、次回のご来訪の際には、今回よりも長く滞在していただけるのでしょうか?」
私も笑顔で大きく頷きを返し、肯定する。
「ええ……。ダイズの栽培方法や、ミソの作り方、トウフの作り方を伝授しますので、それなりに長期滞在になるでしょう」
その後、しばらく二人で分かれの名残を惜しんでから、私は小舟へと乗り込んだ。
出発する直前になると、クリスさんの小さな独り言が聞こえてしまった。
「夫の夢を応援し、帰りをひたすら待ち続ける新妻というポジションも、なかなか悪くないですね……」
なんだか、クリスさんがまた夢の世界の住人になってしまいそうなセリフを聞いてしまったのだが、聞こえなかったふりをして、手を大きく振りながら島を離れた。