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先祖返りの町作り ~無限の寿命と新文明~

第8話 祭司長の横顔

 わしが祭司長としてこの里に生を受けて、どのくらいの時がたったのかのう。

 初めのころは、わしもちゃんと自分の年をかぞえておったのじゃ。

 じゃが、二百年もぎるころになると、同時期に生まれた里の幼馴染おさななじみたちは、誰一人、この世にとどまってはくれなくなってしもうた。

 わし一人だけがここにあり続ける事にきてしもうたのは、いくつぐらいの時じゃったろうか。

 少なくとも、四百を少し超えたころになると、わしはもうどうでも良くなってしもうて、年をかぞえるのをやめてしもうていたわ。

 じゃから、わしの正しい年は、わしもふくめて誰も知らぬ。

 いろいろと思い返してみれば、五百歳はくだらぬじゃろうというのが、かろうじて分かるぐらいじゃな。

 あまりのさみしさから、いっそのこと、自らこの命に終わりをもたらそうと考えたのも、一度や二度ではなかったわ。

 じゃが、命の神様でもあらせられる大地の神様は、それをかたく禁じておられる。

 もし、それを無視してやってしまうと、神々の怒りにれてしまうので、あの世で永劫えいごうの苦しみを味わうことになるのじゃ。

 わしはそれが恐ろしゅうて、どうしても、自害じがいする気にはならなんだ。

 そんな日々を繰り返しておったのじゃが、ほんの十年ほど前に、奇跡が起きたのじゃ。

 この里に二人目となる先祖返り、祭司が誕生したのじゃ。

 先祖返りはとても生まれにくいので、里に先祖返りがいない時代もめずらしくはないのじゃ。にもかかわらず、同時代に二人の先祖返りがこの里に生れ落ちる事ができたのは、神々のもたらした奇跡なのじゃろうて。

 長すぎる時をひとりぼっちで生き続けてきたわしを、天上の神々があわれんでくれたもうて、この地に祭司を使わしてくださったのじゃろう。

 この里じゃと、先祖返りはとてもありがたがられるので、里全体の子供として、とても大切に育てられるのじゃ。

 じゃが、すぐそば面倒めんどうを見るものも必要じゃ。じゃから、里の慣例にしたがえば、最長老が代表して一緒にらすことになっておる。

 この場合はわしじゃな。

 わしはこの風習に、とても感謝したのじゃ。

 寿命じゅみょうが違いすぎるので、わしに懸想けそうしてくれるような物好きな男などおらぬ。じゃから、わしは子供を持てぬと考えておった。

 じゃが、祭司と共にらすようになって、わしにもやっと息子むすこができたのじゃ。

 むろん、里のみなの子供である事は承知しょうちじゃ。じゃが、そうであるのなら、わしの息子むすこでもあるはずなのじゃ。じゃから、何も問題はないじゃろうて。

 祭司は小さいころから、とても不思議ふしぎな子供じゃった。

 誰にならわずとも、いろいろな事を知っておる。祭司自身はかくそうとしておるようじゃが、バレバレじゃて。

 最近では、時をきざむ道具として、ヒドケイなるものを作りおったしの。

 言われてみれば仕組みは簡単じゃ。太陽の方向からおおよその時をはかっておったわしらにしてみれば、とてもなじみの深い方法とも言えよう。

 じゃが、それをあのような形にしてみようとは、普通の幼子おさなごであれば思いつくまいて。

 里のみなも気づいておる。そして、幼子おさなごにそのような知恵ちえさずけられる存在など、わしらには一つしか思い浮かばぬ。

 この子は、間違いなく、神々に愛されておるのじゃろう。

 じゃが、そのような知恵ちえがあるためなのか、この子はどこか大人びていて、聞き分けの良い子供じゃ。良すぎると言っても良い。

 しかしな、寿命じゅみょうの長すぎる先祖返りにとって、子供時代の記憶はとても大切なものになるのじゃ。

 じゃから、もう少し子供らしくあって欲しいと常々思うておった。

 そんな祭司が一番子供らしくあったのは、いつだって魔法を目にする時じゃった。

 わしらが生活のために水を作り出したり、土を操作してかまどあらたに作ったりするのを、とても子供らしいキラキラとした目でいつもながめておった。

 魔法は危険な事にも使えてしまうため、十歳になるまでは教えられぬ事になっておる。

 わしがそのように祭司に言いふくめると、十歳が待ちきれませんと言っておったな。

 じゃから、祭司が待ち望んだ十歳の儀式が終わるやいなや、魔法を教えてくれとわしにってきたのも、まあ、予想の範囲内じゃ。

 めずらしく子供らしい我儘わがままを言う祭司を、里のみなも温かく見守っておったわ。

 じゃが、笑っておられたのも、ここまでじゃった。

 手始めの基本として、魔力制御の方法を教えたのじゃが、あやつは寝る暇も、めしの時間でさえも削るようになってしもうて、ひたすらに修練しゅうれんを続けるようになったのじゃ。

 見るに見かねて、もう休むのなら明日は魔石に魔力を込める方法を教えると言ったのじゃが、これが大失敗じゃった。

 その方法をならうやいなや、こやつは気絶するまで魔力を使うのをやめようとはせぬようになってしもうたのじゃ。

 魔力切れというのは、とても危険な状態なのじゃ。そのまま心臓が止まってしまう事も、往々おうおうにしてあるぐらいなのじゃから。

 そして、こやつは、わしが何度なんど説教せっきょうしても、気絶するまで魔力を使う事を決してやめようとはせなんだ。

 五百年以上の孤独にえ、ようやっとめぐり合えた同じ時を生きてくれるものが、わしの息子むすこが、わずか十年と少しで失われてしまう。

 この何物なにものにもえがたい恐怖は、里のみなにも理解できまい。もちろん、大切なみなの子供じゃから、このまま死なせてはならぬと思うてくれておるのじゃろうが。

 わしが何も言わずとも、里のみなも祭司の無茶むちゃを止めようとはしてくれたのじゃ。

 祭司がねだっても、魔石を渡さぬようにしてくれたしの。

 じゃが、こやつは、なら自分で魔石をってきますと言いはなち、ナイフを片手に森に突撃とつげきしようとしおった。

 あまりにも危険すぎるので、やめるように言いふくめると、今度は言葉ことばたくみにあの手この手を使ってわしらを説得してけむき、どのようにしてでも魔石を手にするようになりおった。

 ならばと、魔石に魔力を込めるのをやめさせるように目を光らせておれば、このドアホウは、様々な手管てくだを使ってみなの目をかいくぐり、気がつくとどこかで気絶しておるのじゃから、始末におえぬ。

 神々が与えたもうた知恵ちえを、まさかこのような事に悪用するとは、本当に思いもせなんだわ。

 そして、道端みちばたで気絶しておる事もめずらしくなくなってきたころ、わしは考えをあらためた。

 通り一辺倒いっぺんとう説教せっきょうでは、最早もはや意味がないじゃろう。

 こうなってしまっては、祭司に恐れられ、きらわれる事になったとしても、絶対にしてはならぬと、その心に強くきざみつけねばならぬ。

 最愛の息子むすこきらわれてしまうのは、わしとてつらい。じゃが、このままでは、その息子むすこの命のともしびが消えてしまう。

 その途轍とてつもない恐怖に比べれば、その程度ていどの事、どのようにでもえて見せようぞ。

 わしは決意をかためながら、目の前でのんきな顔をして気絶しておる祭司を見下みおろし続けた。

 こやつは、自分が気絶するたびに、わしの心臓の方が止まりそうになっておるという事に、まったく気づいておらぬのじゃろうな。

 ついさっき身じろぎしておったので、そろそろ目がめるころじゃろう。

 さて、覚悟を決めて、できるだけ恐ろしくなるような声をだそうかの。