先祖返りの町作り ~無限の寿命と新文明~
第1話 プロローグ
私の住む里は森の中。
私たちはアルク族と言われる狩猟採集民族だ。
里の人口は二百人にも満たない小さなものだ。
「これでも、この里もだいぶん大きくなったのじゃぞ?」
長生きの祭司長の感想である。
私は祭司と呼ばれる、今年で七歳になる男性の幼児だ。
私には前世と思われる記憶があり、いつの頃からか、これは自分だけのものだと気づいた。ただ、前世の自分の名前や友人関係などの個人情報は、ほとんど思い出せない。
断片的な記憶を繋ぎ合わせてみると、私はどうやら情報工学科の大学を卒業し、プログラマーになったらしい。趣味は読書だったようだ。
プログラマーと言えば普通は理系だと思うのだが、なぜか読書が好きで、様々な本を読んでいたため、いろいろと知識はあると思う。
しかし、この里で入手できる材料では使い道がない。
例えば、この里での調味料は塩のみのため、醤油とは言わずともせめて味噌が欲しいのだが、作り方は覚えていても、そもそも大豆が手に入らない。
また、私は大学時代に塾講師のアルバイトをしていたようで、高校範囲の数学、物理、化学については繰り返し復習していたような形になったためか、その内容は良く覚えている。
その反面、大学の一般教養等で習った範囲については一度だけしか学習していないため、おおまかなものしか覚えてない。
そうは言っても、ずっと昔に習ったはずの高校範囲の学習内容を、そんなに長く覚えていられるはずがないと指摘される事も多かったようだ。
しかし、私に言わせると、それについては暗記のやり方を間違っているだけになる。
例えば、二次方程式の解の公式はとても複雑で、受験が終わればすぐに忘れると考えるかもしれない。
私の場合、あの公式はそもそも丸暗記していない。その導き方だけを覚えているのだ。
つまり、文字式で二次方程式を定義し、そこから平方完成と呼ばれる式変形を用いて公式を導く方法のみを暗記している。
実際、私はテストの時間内に忘れてしまった公式を何度も計算で導きなおして作っていた。
こうする事により丸暗記が必要な範囲を最小限に抑えられるため、学生諸君にはぜひともお勧めしたい方法だ。
私の記憶の中にあるものと比較した場合、アルク族はエルフにかなり近い。
しかし、耳はとがっていても特に長いというほどでもない。
菜食主義者というわけでもなく、普通に狩りをして肉も食う。
美形ぞろいでもなく、中年や老年のものもいる。
それでも個人的な価値観で考えれば、色白なこの一族は美形だと思う。
しかし、里の価値観では肌の色が濃いほど珍しく、美しいとされる。
髪の色は銀髪や金髪が多く、まれに茶髪がいる。
ごくまれに黒髪のものが生まれるらしいが、この時代にはいないようだ。
この里では茶髪や、特に黒髪は美しさの象徴らしく、逆に銀髪や金髪はありふれた色でありがたがられない。
私は残念ながら、一般的な銀髪で色白だ。
家は普通に木材を使った掘立小屋で、別に自然と調和したエルフのような家ではない。
アルク族は三十歳を少し越えるぐらいで成長が止まり、六十歳を越えたあたりでゆっくりと老化が始まる。寿命は長くても二百歳ぐらい。これらの事から、寿命は人間のおよそ三倍、成長速度は半分ぐらいだと思われる。
自分と祭司長だけは、記憶の中のエルフにとても良く似た長い耳を持つ。
自分と祭司長は先祖返りと呼ばれていて、祭司長はとても美形の女性だ。
ただ、祭司長は肉付きの良いナイスバディで、スレンダーではない。その上、口元にある黒子がワンポイントとなっており、とてもセクシーに感じる。しかも、髪の色は美人とされる茶髪で、里のものから見てもとても美人らしい。
色香を漂わす美女でありながら言葉遣いは老婆のようで、ギャップが激しい。
先祖返りはとても長い寿命を持つが、正確な事は分からない。
里に残る言い伝えでは、少なくとも千年以上の寿命があり、老化が始まった先祖返りは過去確認されていない。病気や事故で亡くなった例はあるが、老衰で死んだ先祖返りは存在しない。
「祭司長様は、今、何歳なのです?」
ある時、聞いてみた。
「そうじゃのう。四百歳ぐらいまでは数えておったのじゃが、ちと、覚えておらんな」
祭司長が今何歳なのかは、里の誰も知らない。
先祖返りは子供を作らない。言い伝えでは、先祖返りはそもそも子供ができにくく、できたとしても一般的なアルク族になり、寿命の関係で子供の方がはるかに早く亡くなる。
そのため、自然と先祖返りは崇拝の対象になっても、恋愛の対象にはならなくなったそうだ。
「では、将来、大人になった私と祭司長様が結婚して子供を作ったらどうなるのですか?」
私はできるだけ子供らしさを装いながら、疑問をぶつけてみる。
「何じゃ? 祭司はわしと結婚がしたいのか? 嬉しい事を言ってくれるが、先祖返りが同時に二人いた時代はかなり珍しい。よって、どうなるかは、わしにも分からん」
(将来、寂しさに耐えられなくなったら、祭司長様にプロポーズしましょう)
心の中でそっと、勝手に未来のお嫁さんを決める。
この里には暦がないため、正確な誕生日は誰一人知らない。誕生した季節が来たら一つ年を取るといった、おおまかなものだ。
いつかは夏至や冬至の日にち等を観測し、暦を作ってみたいが、それには長い年月をかけた観測が必要なため、今後の課題にしている。
(寿命だけは長いのです。いつかは作りましょう)
密かに決意する。
自分の両親はこの里にいるらしいのだが、誰かは教えてもらっていない。
おそらくは、自分よりはるかに短命な家族との別れをなるべく悲しませないための風習であろうと推測している。
めったに生まれない先祖返りが誕生すると里を挙げての祝福の祭りが執り行われ、里全体の子供としてとても大切に育てられる。
私には個人の名前というものがない。単に祭司様と呼ばれている。
「祭司も成人したら、自分で自由に名をつけて良いぞ」
祭司長は教えてくれる。ただ、祭司長も得に名前を名乗らず、祭司長様と呼ばれている。
「祭司長様には自分でつけた名前があるのですか?」
どんな隠された名前があるのか、興味がわく。
「わしにも若い頃には自分でつけた名があったのじゃが、誰にも名前で呼ばれなくてのう。ずっと祭司長様と呼ばれ続けたからの。よって、自分で名をつけても、あまり意味はないと思うがの」
教えてはもらえなかった。
先祖返りはみんなから尊敬を集め、自分も様をつけて呼ばれるが、私が欲しいのは対等な友人であるため、とても寂しい。
(幼馴染のかわいい女の子とかいたらいいのですが)
などと妄想する事もあるが、同年代の里の子供たちに敬語をやめるように何度お願いしても、誰一人、敬う態度を改めてはくれなかった。
里では十歳で森の神様に成長のお礼の儀式を行い、以後、魔法や狩りの技術等を学びだす。
前世の記憶では小学校入学のイメージが一番近く、先生は里の大人全員。
もうお気づきだろうが、この世界には魔法がある。
ただし、選ばれしもののみが使える特別な力というわけでもなく、里のものであれば誰でも使える一般的なものだ。
この十歳の儀式後は、ただ世話をされるだけの幼児を卒業し、里を構成する子供として扱われ、年齢や体力に応じた労働が義務づけられる。
自分は祭司様と呼ばれている事から分かる通り、里での冠婚葬祭の儀式を行う事が仕事になるため、いずれは儀式の祝詞等を勉強するが、一般教養として狩りの仕方も習うようだ。
祭司には里の薬師としての役割もあるが、私はまだ七歳のため、お手伝いもさせてもらえない。
里周辺で取れる薬草には、解熱剤や鎮痛剤、化膿止めの薬等がある。
簡単な生薬のようにして煎じて飲んだり、乾燥させて細かく砕いたものをふりかけたりする。
(まさか、鎮痛剤はコカの葉のような麻薬じゃないでしょうね?)
そのような心配をしてみたが、よく考えてみれば、前世でも純粋な化学物質としてのコカインが抽出されてしまう前までは、民間療法として使われていた事を思い出した。
中毒患者等は見た事がないため、毎日よほど大量に摂取でもしない限りは、安全なのだろう。
ちなみに、この世界の神様には名前がない。単に森の神様、水の神様等と呼ばれている。
「祭司長様、神様には名前がないのですか?」
素直に疑問を投げかける。
「神様というのは、全てを超越した存在じゃ。わしら、たかが地上を生きるものが勝手に名を与えてしまうなど、恐れ多い事じゃ」
祭司長は、私の疑問に何でも丁寧に答えてくれる。
この里での成人は三十歳で、成人の儀式が行われた後は大人として扱われる。
大人になれば結婚が許可され、飲酒も解禁されるが、この里では、酒はお祝いの時の儀式の一環のようなものの扱いで、みんな嗜む程度しか飲まない。
魔法の言語を表すための魔法文字は伝わっているが、それ以外の文字は、里では発明されていないか、失伝しているらしい。この里では、本はおろか紙もインクでさえも見た事がない。
アルク族には風、水、土の魔法が伝わっているが、それ以外は誰も魔法式を知らないため、種族特性として使えないのかどうかは不明である。
ちなみに、風を使うから風魔法等と種類を区別しているだけで、属性魔法のような厳密な区分はないらしい。
里の生活では、水魔法で作り出した水を生活用水に使っている。
その様子を観察した限りでは、大気から水分を抽出しているだけでは説明がつかず、おそらくは、魔力を水に変換しているのだろう。
これらことから、魔力とは高密度のエネルギーであると考えている。
ただ、それにしても一定量以上の水をエネルギーから合成しているとすると、非常に膨大なエネルギーになってしまう。
これは仮説だが、高密度のエネルギーが存在する別次元の世界からエネルギーを取り出しており、それを魔力と呼んでいるのではないだろうか。
もしこの仮説が正しいのであれば、無尽蔵なエネルギーを扱えることになり、また、魔力が世界を越える仕組みを解明できれば、空間を操作してワームホールを作るなんて事もできそうではある。
なかなかに夢の広がる話であるため、いつかはゆっくりと研究してみたいものだと思っている。
「祭司長様、魔法で鉄は作りだせないのですか?」
私はいつものように、祭司長に疑問を投げかける。
「そのような便利な魔法があれば良いのじゃが、残念ながら、そのような魔法式は誰も知らぬ」
この里には風呂の習慣がない。水魔法を使った丸洗いで済ませてしまう。
シャンプーやリンスとまではいかなくても、せめて植物性の油からできた石鹸が欲しいと思う。いつかは自作したい目標になっている。
(でも、苛性ソーダって、この世界にあるのでしょうか?)
石鹸のレシピを思い出しながら、そっと心の中で呟く。
里にはヒム族の行商人が小型の荷車を人力で引いて、塩や鉄製品、布等を売りに来る。取引は物々交換で行われる。
このヒム族は、里の外であれば一般的な種族で、前世の知識ではどこからどう見ても人間である。
「アレンさん。里の外でもその荷車を引いているのですか?」
行商人に聞いてみる。
「馬鹿を言うな。外では馬という生き物に、もっと大きな荷車のようなものを引かせている」
どうやら馬車のようなものはあるらしい。
「ただな。森の獣道を渡るためには、大きな荷車は通れないんだよ。だから、自分で小さいのを引いて来ているだけだ」
(アレンさんも大変ですね)
心の中で呟く。
行商人の商品の中では、鏃等の鉄製品が一番高価だ。斧にいたっては、里の共有財産になるほどのレアアイテムだ。
「アレンさん。どうして鉄はこんなにもお高いのですか?」
近頃では、疑問に思ったらすぐに質問する癖がついてしまった。
祭司長が何でも丁寧に答えてくれるため、ついつい、行商人のアレンさんにも質問してしまう。
「それはな、坊主。この里では鉄製品が作れない上に、重くて一度にたくさんは運べないから、どうしても、お高くなってしまうのさ」
気前よく、行商人のアレンさんは答えてくれる。
里の付近の森は比較的安全で、一般の動物と、ごく弱い魔物しか住んでいない。
魔物は一般の動物と比べて体が大きく、攻撃的になるが、肉はうまくなる。
魔物と動物との違いは、魔石と呼ばれるものが体内にあるかどうかで決まる。
動物が魔力を浴び続けると魔物に変化するという言い伝えがあるが、本当のところは、誰も確認していない。
「祭司長様。動物に魔力をぶつけ続けたら、本当に魔物になるか確認できるのではないのですか?」
いつもの質問をする。
祭司長はものすごく嫌そうな顔で語る。
「祭司よ。それは最大の禁忌とも言える所業じゃ。二度と、そのような考えは口にするでないぞ?」
優しい口調で念を押された。
魔物を長期に亘って放置しておくと、魔物の密度が一定を越えた時点で共食いが始まり、だんだんと強力な個体に成長してしまう。
この里の周辺は常に狩りが行われていて手入れが行き届いているのも、周辺に弱い魔物しかいない理由だそうだ。
ちなみに、この里で採れる魔石には、それほどの価値はないようだ。
ただ、魔石に魔力を注ぎ込むと価値が跳ね上がるので、里のものは、暇つぶしに魔石に魔力を注いでいる。
「祭司長様。魔力の詰まった魔石をたくさん作れば、もっと楽に暮らしていけるのではないのですか?」
祭司長は微笑みながら、いつものように答えてくれる。
「わしらは、これ以上の生活を望んでおらぬ。今のままで十分、満ち足りておるからの」
私は行商人から外の世界の話を聞くのが大好きな、変わり者の先祖返りと言われている。
「アレンさん。一度でいいので、近くの村まで連れて行ってはもらえませんか?」
ある時、私は我儘を言ってみた。
「祭司様! そのような事はおっしゃらないでください!! 祭司様はこの里のみんなの大切な子供です! どうか、我々をおいていかないでください!!」
周りを見渡すと、里のみんなが泣きながら行かないでと懇願している。
「ごめんなさい。ちょっと言ってみただけです。少なくとも、成人するまでは里から出ません。約束します。どうか安心してください」
私はあわてて約束してしまった。
「アレンさん。何で遠路はるばるこんな森の中まで、わざわざ魔石を買い付けに来るのですか?」
「それはな、坊主。ヒム族では、魔法が使えるものがあまりいないんだよ。だから、魔力の詰まった魔石は、外では高く売れるんだよ」
アレンさんも近頃は私の質問攻めに慣れてしまっているようで、気前よく答えてくれる。
「ここにこういう里があることはな、ヒム族の国では良く知られているんだが、正確な場所は、俺らの一族にしか伝わっていない秘伝なんだよ。だから俺も、先祖代々続く由緒正しい行商人をやっているってワケさ」
「じゃあ、その魔石は何に使われているのですか?」
「魔道具っていう、便利な道具に使われるんだよ。ああ、分かっている。聞くな。俺はその作り方を知らないし、魔道具はとても高価でな。行商人程度では、持っているヤツも少ないだろうな。ちなみにこの辺りの村では、ひとつも見た事がないぞ?」
この世界の知識を貪欲に吸収しながら、私は日々、成長を続ける。